セカイにひとり

第二章「欠けたセカイ」 後編

ラビットハウスに戻ると、手紙が届いていた。

「お姉ちゃんからだ!」

自分の部屋に駆け込み、荷物を置くのもそこそこに封筒を開いた。

『ココアへ

元気にしてますか? お姉ちゃんは元気です。

ココアが引っ越して、お母さんと私の二人でパンの仕込みから販売、配達までするように なり、ちょっと大変ですが、だいぶ慣れました。

木組みの街で友達はできましたか? ココアのことだから学校中のみんなとすぐに仲良く なっていることと思います。ラビットハウスでのご奉仕はうまくできていますか? お仕 事と勉強の両立は大変だと思いますが、ココアならできると信じています。ご近所さんか らもココア宛てに「頑張ってね」「たまには顔を見せに帰っておいでね」と、いっぱい励 ましの言葉をもらっています。お姉ちゃんもたまにはココアの顔を見たいです。木組みの 街に行っちゃおうかな?

\begin{flushright} お姉ちゃんより \end{flushright}

追伸 by 母

モカが全力を取り戻すまでに半月かかりました。ココアシックでしょうか、それともシス ターコンプレックスでしょうか。いつもうわの空でココアのことばかり考えていて、パン を焼いてもらっても真っ黒焦げになったりしていました。

タカヒロさん、サキさんによろしくお伝えください。

\begin{flushright} 母より』 \end{flushright}

思わず笑ってしまった。こっちからもお手紙書かなきゃ。この街の写真と、ラビットハウ スの写真と、あとはサキさんとタカヒロさんと、それから――ちゃん、

私は立ち止まった。誰の写真を撮ろうとしたんだっけ……? サキさんと、タカヒロさん と、他に誰かいる? ……だめだ、思い出せない。ベッドに倒れ込んで、思考を巡らせな がら思い出そうとしたけど、無理だった。

そんな時、また携帯が短く鳴った。また変なメールだった。前々回、前回、今回と、回を 追うごとに文字化けの割合が減り、だいぶ読めるようになってきた。

 

『木組みの街のココアへ

今度こそ安定してメールを送れていることを期待します。あまり長くなると情報が欠落す るらしいので手短に行きます。記憶を思い出すためのものを送りました。明日には届くと 思います。別のメールでX'!=@の写真を送ります。

\begin{flushright} ――のココアより』 \end{flushright}

 

完全に名指しだった。ただの迷惑メールとは思えない。なにか変なことが起ころうとして いるように感じた。何かの写真も送られてくるらしいが、その部分がピンポイントで文字 化けしてしまっていた。

胸騒ぎがする。誰かに相談したいけど、誰に相談したらいいのかな。サキさん、タカヒロ さんには心配かけたくない。クラスメイトに相談するのもなにか違う気がする。お姉ちゃ んかお母さんは……遠い。そして一人思い浮かんだ。

「青山さんに相談してみようかな」

青山さんは明日はラビットハウスに来るはず。その場で相談するとサキさんやタカヒロさ んに聞こえてしまうかもしれないから、来週のどこか都合のいい日に相談に乗ってもらお う。

 

日曜日。青山さんは十時過ぎにラビットハウスにやって来た。

「こんにちは~」

「こんにちは、青山さん!」

「ココアさんこんにちは~」

「ご注文は何になさいますか?」

「今日はキリマンジャロでお願いします」

「ありがとうございます! サキさん、キリマンジャロお願いします!」

コーヒーを青山さんの席に届け、しばらく様子をうかがいつつ、他のお客さんの応対をし ていた。一段落したところで、青山さんの席の方へ行った。

「青山さん」

「相談事があるんでしょう?」

「えっ、どうしてそれを……」

「顔に書いてありましたから~」

青山さんにはかなわない。そう思った瞬間だった。制服のポケットに隠し持っていた手紙 をそっと差し出す。

「ここで開いてもいいですか?」

「はい」

青山さんは私の手紙を読み始め、しばらくするとうなずいて、手元の原稿用紙にさらさら と何かを書き始めた。原稿用紙が半分くらい埋まったところで綺麗に折りたたみ、私の方 にすっと差し出した。

「文通って、いいものですね」

うふふ、青山さんは微笑んで原稿執筆のお仕事に戻った。

フロアが落ち着いたのを見計らってバックヤードに行き、更衣室で青山さんからの手紙を 読んだ。

 

『今日のディナーをご一緒しましょう 青山』

 

思ったよりも早かった。サキさんとタカヒロさんには青山さんから話を通しておくこと、 青山さんは夕方に編集部での打ち合わせがあるので現地で待ち合わせること、服装は普段 着で大丈夫なことなどが添えられていた。

表に戻ると、ちょうど青山さんがサキさんに話をしているところだった。

「それでは今夜、ココアさんをお借りします。よろしくお願いします」

「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」

青山さんがお店を出ていくと、サキさんがひじでうりうりしてきた。

「ココアちゃんすごいじゃない! 今度出る青山さんの本のモデルになるんですって?」

「え? ああ、うん、そうですね~」

「青山さんはお礼だって言ってたけど、やっぱり手土産は必要よね……よし、ちょっと厨 房にこもるから表お願い!」

「へ\tatechuyoko{!?}」

止める暇もなく、サキさんは奥に引っ込んでしまった。私まだコーヒー淹れられないんで すけど……幸い、入れ替わりにタカヒロさんが表に出てきた。

夜、お店の雰囲気にできるだけ合う服を選び、サキさんお手製のお土産を手にして、目的 のお店に向かった。時間になっても来ない時は先に入って待っているようにとのことだっ た。

超一流のレストランだった。回れ右したくなったのをこらえて待っていたけど、時間にな っても青山さんは来ない。お仕事が押しているんだろう。覚悟を決めてお店に入った。

「六時半に予約しておりました、あ、あの、青山という名前で……」

「青山様のお連れ様ですね。ようこそお越しくださいました。お席へご案内いたします」

びくびくしながら後をついていくと、個室に通された。

「青山様よりご伝言をことづかっております。七時頃こちらにご到着されるとのことです 。お飲み物と軽いお食事はいかがでしょうか」

「え、ええっと、その、別料金だったりします?」

「青山様にはいつもご利用いただいておりますので、少しばかりですが、サービスとさせ ていただきます」

オレンジジュースと軽いおつまみをもくもく食べながら待っていると、青山さんがやって 来た。

「ごめんなさい~、お仕事が遅くなっちゃいました」

「いえ大丈夫です! こここんなごごご豪華なとところで」

「ちょっと込み入った話になるので、個室がいいかなと思いまして。バーの片隅でお話す るのもいいかと思いましたけど、ココアさんに不良さんのイメージがついたらまずいかな と」

それから、コース料理を食べつつ、青山さんに事の次第を話した。最近、何かを忘れてい るような感覚があること、変なメールが来ていることなど。例の「引っかかりノート」も 読んでもらった。青山さんはうんうんとうなずき、それからちょっとの間考え込んでいた 。

「私は専門家ではないので、確実なことは言えないのですが、小説の題材のためにいろい ろな文献を読みましたので、それを元にお答えしますね」

 

「まず、何かを忘れているような感覚というのは、三つの可能性に分けられます。ひとつ は、本当に何かを忘れていて、場所というタグから、記憶の断片が再生されている可能性 です。この場合、ココアさんは実際になにかを経験していることになります」

「その記憶を完全に取り戻すことって、できるんでしょうか」

「別の断片を引き出すためのタグを得ることができれば、取り戻せる可能性はあると思い ます」

「それで、ふたつめの可能性というのは」

「ふたつめは、デジャヴュ、です。……つまり、実は経験していないのに、その経験があ ったと錯覚している可能性です」

デジャヴュ、その可能性は、私もずっと考えていた。でも、それにしては再生される記憶 の断片があまりにも鮮明だった。

「そして三つ目、並行世界における経験が、この世界のココアさんの記憶として再生され ている可能性です」

「並行世界?」

本で調べたけど、並行世界はもしあったとしても、お互いに影響を与え合うことはできな いんじゃ……

「この研究、まだ十分に再現ができていないために正式には発表できていないそうなんで すが、並行世界は実際に存在し、ときに影響を与え合うことがあるという論文を読みまし た。その影響を与え合う現象のひとつが『神隠し』です」

「つまり、その影響で私の周りの人がいなくなっていて……でも神隠しって、ちゃんと、 というと変ですけど、記憶に残りますよね。今起きているのって、私の記憶にしか残って いないみたいなんです。他の誰も、なにかを忘れているような感じがない」

「はい。この、並行世界が影響を与え合った時に、記憶自体も改変されてしまうことがあ るそうです。元の世界の人もそうですし、別の並行世界へ行ってしまった人の記憶も。つ まり、自分が並行世界へ行ってしまったことに気づかないまま、暮らしている可能性もあ るわけです」

「私だけ、記憶が一部改変されずに残っている……?」

「そうなりますね。行ったことがあるはずの場所にそのものが存在しなかった経験って、 過去にありましたか?」

「うーん、あったような、なかったような……」

「実はこの説の証明の難しさは、人は記憶を忘れやすいという点にあります。ほとんどの 人は『気のせい』として片づけてしまいます」

「じゃあ、私の感覚も、気のせいなのかな」

「これは私の直感なのですが、ココアさんの記憶は本物なんじゃないかと思います。そう いう気がします」

そう言うと、青山さんが原稿用紙の束をくれた。

「私が話した考えは、この紙にまとまっていますので、よろしければ参考にしてください 。ココアさんの大切な人が見つかることを願っています」

「ありがとうございます」

「実は今日のラビットハウスでの執筆活動は、全部これに費やしてしまいました。でも大 丈夫です。取材活動の一環です。それで、ちょっと言いにくいんですが――」

「なんでしょう?」

「今回の件が無事解決したら、私か、解決した先の並行世界にいるかもしれない『私』に 、この経験を話してくださいませんか? きっといい話が書けると思うんです~」

小説家らしい言葉で、青山さんとのディナー兼相談会はお開きとなった。

 

ラビットハウスに帰ると、カウンターにもふもふ毛玉がいた。

「それね、表に置いてあったの。タグに『ココアさんへ』って書かれてたから、きっとコ コアちゃんのファンからのプレゼントよ♪」

「念のため調べたが、怪しいものは入っていなかった。普通のかわいいぬいぐるみだよ」

タカヒロさんによるセキュリティチェックが済んでいるなら安心。さっそく自分の部屋に 持っていった。そしてもふもふ。気持ちいい~

『――ええい早く放せ小娘が!』

『――私の腹話術です。早くコーヒー全部飲んでください』

今までで一番鮮明な記憶が蘇った。なんだろう、このラビットハウスで初めてコーヒーを 飲んだ時にかわいい子に急かされたような……

その時、携帯電話が鳴った。怪しいメール。今度は画像だけ。スカイブルーの制服を着た 、ちょっと引っ込み思案そうな女の子。

『私はチノです。ここのマスターの孫です』

『じゃあココアさん、早速働いてください』

『お前は誰だ? そんなの聞いてないぞ。怪しいやつめ』

『普通の女子高生だから信じろ』

『ココアお姉ちゃん……ですね』

『そう言えばその制服……私と同じ学校ね』

『あのね、入学式は明日なの』

『この白くすべらかなフォルム……はぁ~~……」

『カフェインを摂りすぎると異常なテンションになるみたいなの』

『チノー、このもこもこしたのかわいいなっ、倒したら経験値入りそう』

『チノちゃん羨ましいなー、こんな優しそうなお姉さんと一緒に暮らせて』

 

私は勢いよく立ち上がった。携帯電話が膝から落ちて床の上をはねた。なんでこんな大切 なことをずっと忘れていたんだろう。アルバイト仲間のリゼちゃん、甘兎庵の看板娘にし てクラスメイトの千夜ちゃん、お嬢様オーラ漂う苦労人のシャロちゃん、いつも元気なマ ヤちゃん、トルネードがトレードマークのメグちゃん、そして私の大切な妹――

「……チノちゃん、みんな……どこにいるの……?」

みんなを探さなきゃ。でもどこにいるのか全く見当がつかない。青山さんが話してくれた ことを思い出す。もしあの話が本当なら、みんなは並行世界に行ってしまっていて、しか もみんなお互いのことを覚えていないに違いなかった。

私が引っかかりを感じたところ、それはすべて、みんなとの思い出の場所だった。それ以 外にもいろいろな場所でたくさんの思い出があった。

みんな思い出した。涙がこぼれてきた。とても寂しい。みんなどこかに行ってしまって、 私はひとりぼっち。でも、希望はある。並行世界に行くことができさえすれば、みんなと また会って、一緒に過ごすことができる。

 

 

ひとりぼっちの闘いを、はじめよう。みんな待ってて、お姉ちゃんが助けに行くから。