セカイにひとり

第二章「欠けたセカイ」 中編

月曜日、学校がまた始まる。さすがに高校までの道のりはこの三週間で覚えた。初めて学 校に行った日は道に迷って、案内してもらったんだっけ。誰か街の人。しかもその日入学 式だと思ってたら、実は次の日だったというオチがついた。

「おはよー」

「おはよーココア」「おはようココアちゃん」

クラスのみんなと会えると、やっぱり嬉しい。週末に感じた寂しさみたいな感じも、ここ でなら感じずに済みそう。今日は好きな数学と物理の授業があるから頑張るよー!

物理の授業では、これから学ぶ古典力学と、その先に学ぶ量子力学についての簡単な説明 があった。世界の動きが数学によって説明できる、そのことになんだかとてもわくわくす る。もしかしたら、謎を解くのに参考になるかもしれない。

「さて、量子力学は、SFでよく出てくるパラレルワールドやタイムトラベルといった話 を現実にしたり、フィクションのままにしたりする理論にも応用されます」

今まで興味なさそうに話を聞いていたクラスメイトまでもが、身を乗り出して話を聞き始 めた。量子力学のさわり、量子重ね合わせ、観測問題などなど、とてもわかりやすく説明 してくれた。

「実は私もタイムマシンに憧れて物理の道に進みました。残念ながら、時間を自由自在に 行き来できるタイムマシンはフィクションのままですが、並行世界は現実に存在してもお かしくなさそうです。こちらも世界移動の手段はフィクションのままなのですけど」

 

昼休み。購買にパンを買いに行った。種類が豊富で、どれもおいしい。でも最高においし いのは実家、Hot Bakeryのパンだと思っているよ。そうだ、今度ラビットハウスのオーブ ンを借りてパンを焼いてみようかな。みんなと焼くと楽しいだろうな。

クラスメイトを思い浮かべていると、ふと脳裏に違うイメージがちらついた。クラスメイ ト以外の人となにか面白いパンを焼いたような――

「――、ココア」

「……えっ、あっ、ごめん。ちょっと考え事してた」

委員長が心配そうに顔をのぞき込んだ。

「最近寂しそうな顔してる。ホームシック?」

「そそそそんな事ないよ!? だってみんないるし、ラビットハウスのサキ さんとタカヒロさんもやさしいし」

「ふうん、何かあったらすぐに言うんだぞ。ドンと解決! とまではいかないけれど、話 すだけで変わってくるからな」

「ありがとう、えへへ」

放課後、みんなと別れてラビットハウスに帰る。平日は週に二回、短時間お手伝いをする ことにしている。サキさんもタカヒロさんも、平日は学業に専念するようにと言って譲ら なかったけど、なんとか頼み込み、学力テストで数学と理科の成績が良かったことを説明 して認めてもらった……うん、二人に嘘はついてないよ。嘘はついてない。英語と歴史と 国語の悲惨な成績を見せてしまったら、土日のアルバイトすらも完全に外されてしまうに 違いない。そっちは頑張る。

「おかえりなさい、ココアちゃん。今日は暇だからお休みでいいわ♪」

「いきなりいらない子宣言されちゃった……」

「もう、拗ねないで。ココアちゃんはラビットハウスの救世主よ」

「そう言ってくれると嬉しいです」

客席を見渡すと、今日も青山さんが来ていた。手招きされたのでそちらにお邪魔すること にした。

「こんにちはココアさん。早速ですけど『うさぎに愛された少女』の初稿ができました~ 」

「速い!」

「一気に筆が進みまして~、まあ、凛さんが泣きながら催促するから急いだということも あるんですが」

「青山先生が締切を守ってくれればいいんです!」

気がつくと女の人がゼーゼー言いながら横に立っていた。

「あら~凛さん」

「あらーじゃないですよ青山先生、いや、翠ちゃん!」

この人が凛さんと言うらしい。たぶん出版社の編集さんだと思う。

「申し遅れました。青山の作品編集を担当しております、真手凛と申します」

「ラビットハウスの居候兼アルバイトの保登心愛です!」

お互いにご挨拶もそこそこに、今度は青山さんを店内で捜索することになった。なんと、 私と凛さんが言葉をかわしているそのすきをついて、かくれんぼをしてしまったらしい。 青山さんは十分後に見つかった。なんと座っていた席のテーブルの下にしゃがみ込んでい た。何ていうんだっけ、灯台下暗し? まだ雑誌記事の原稿があるとかで、青山さんは凛 さんに連れて行かれた。大人気作家は大変だなあ。

自分の部屋に戻り、部屋着に着替える。明日か明後日の放課後はお洋服屋さんを巡ってみ ようかな。そう思いながら携帯電話を開くと、クラスメイトからのメールに混じって、謎 のメールが届いていた。怪しいメールは開かずに捨てるのが鉄則だと、今まで散々習って きていた。でもそのメールだけはなぜか気になって、つい開いてみてしまった。

中身はほとんど文字化けしてしまっていて、何が書いてあるのか全然わからなかった。で も一部だけ読める文字があった。

「ティッ……ピー……? 翠……? 並行?」

よくわからないので捨てようとしたけど、何か気になったのでそのまま残しておくことに した。

今日の夕食はカレーだった。味は超一流、ラビットハウスで出したら人気になるんじゃな いかな。でも今のところ出す気はないらしい。タカヒロさんいわく、

「親父が生きてる頃にカフェメニューを増やそうと提案したのさ。でも親父が首を縦に振 らなくてね。コーヒーがおろそかになると言われたよ。その教えを守っているというのが ひとつ。もうひとつは、結構仕込みに時間がかかってね。ちょっと手が回らないのが本当 のところさ」

「タカヒロさん、今度カレーの作り方教えてください! 弟子入りさせてください!」

「いいだろう、ココア君。修業の道は厳しいぞ? ……というほどでもないな。レシピ自 体は軍にいた頃の部隊に伝わるのが元で、それ自体は一般に公開されているしな。隠し味 が秘伝だな」

「はい! 隠し味は私の舌で盗みます!」

「はっはっは、頼もしいな。でもまず――」

タカヒロさんはウインクしながら言った。

「――人参を食べられるようになるのが先かな」

好き嫌いの克服が立ちはだかった。修業の道はつらく厳しい……

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それから週末までは特に何事もなかった。高校へ行き、帰りに街をめぐり、木曜日の夕方 にラビットハウスでお仕事をしたけど、日曜日や月曜日のような変な感じはしなかった。 「謎を調べるときは、図書館で本を漁りなさい」これもお父さんからの教えにあった。明 日、土曜日は午後お休みにしてたから、ちょっと街の図書館に行ってみようかな。

金曜日の夜ともあって、お店の方は賑やかだった。さすがにタカヒロさんひとりでは手が 回らず、サキさんと、さらにタカヒロさんの知り合いがヘルプに入っているらしい。私も お仕事しますと申し出たけど、高校からのお手紙で、お酒を扱う時間帯は当分アルバイト を控えるようにと連絡が来ているらしい。その手紙がなくても、夜はゆっくりする時間だ と言われた。

自分の部屋で「引っかかりノート」を読み返してみた。中身はこの前の日曜日と月曜日の ことだけで、今週はまだ新しいことは書き加えていない。今まで感じた引っかかりに、な にか共通することはないか、ゆっくり考えを巡らせていると、携帯電話が短く鳴った。誰 かからのメール。

「また変なメールだ……」

月曜日の夜に来ていたメールと同じ、文字化けしてしまっているメールだった。でも前来 たメールよりも読み取れる文字が増えていた。

「思い出して……? ……六? ……また連絡する?」

このメールも残しておくべきだと、私の中の直感が告げていた。もしかしたら、引っかか りを解きほぐすカギになるかもしれない。ひとまずお風呂に入ろう。先週みたいに考え事 はしないように。また倒れてサキさんを心配させちゃいけない。

 

土曜日。朝九時からラビットハウスでお仕事。今週末もお客さんが多くて、忙しくしてい ると何も考える余裕がなかった。お昼の一時まで働いて、今日は上がり。まだ忙しそうだ ったので延長で働こうとしたけど、

「ココアちゃん、休むのもお仕事よ?」

めっ、とされた。

バックヤードの更衣室で、ピンク色の制服を着替える。アルバイトは私しかいないけど、 制服は色違いでコバルトブルー、紫、緑、黄色、サーモンピンク、スカイブルーと六着用 意されている。サキさんいわく、

「将来、ラビットハウスがもっと大きくなったら、アルバイトの子が増えると思って」

気分転換に他の色の制服を着てもいいわ、と言われたけど、なんとなく、袖を通さないま まにしておいたほうがいい気がしている。ちなみに女性用のバーテンダー制服もあって、 そちらは着てみたけど、残念ながらちんちくりんの私には似合わなかった。大人になった ら似合うようになるかな?

ラビットハウスを出て、街の図書館へ向かう。高校へ行く道の途中にあるから、今度は迷 うことはない。とても立派な作りで、ここの本を読んだら何でも知ることができそう。で も私の調べたいことはどの棚で見つかるのかな。物理学? 心理学? 脳科学? もしか したらオカルトやSFも参考になる? 時間はあることだし、全部の棚を回ってみよう。 ……あ、でもさすがにオカルトはいいかな。

まずは物理学の棚。月曜日に物理の先生が言ってた量子力学の本を探すと、大学の教科書 みたいなすごい本が見つかった。今の自分の力で読み解けるかはわからないけど、科目と しては好きなので、なんとかなると思う。何冊かパラパラと読み、家でじっくり読もうと 思った本一冊を持って次の棚へ。

心理学の棚、脳科学の棚では、人間の記憶に関する本を選び出した。忘れていることを思 い出す方法が見つけられるかもしれない。最後に文学コーナーのSF特集を見ると、タイ ムトラベルやパラレルワールドに関する小説が一箇所に並べられていた。物語は作者の描 いた世界であって、実際の理論とは違うところも大きいのはわかっているけれど、取っ掛 かりには使えるかもしれない。

合わせて五冊の本を持って、閲覧スペースに腰を下ろした。まずは人間の記憶に関する本 から。忘れてしまっていることを思い出すためにはどうしたらいいのか。

記憶を呼び覚ますには、すなわちその記憶を思い出すためのきっかけとなる物事、タグが 重要な役割を果たすらしい。そのタグから、するすると記憶を掘り出すことができる。一 説には、人間の脳は生まれてからのことをすべて記憶しており、忘れてしまうというのは 、その記憶を掘り出すためのタグのつながりが切れてしまっている、らしい。この理論で 行くと、私の記憶を掘り出すタグを見つけることができたら、引っかかっていることを思 い出すことができるはず。

次にタイムトラベル。私が実は同じ時間を繰り返していて、その記憶の断片が残っている 説。ただ、この可能性は限りなくゼロに近い。先生の話だと、タイムマシン理論を実現す るための制約条件が厳しく、しかもタイムマシンができた時間よりも過去には遡ることが できないという。

最後にパラレルワールド。実はパラレルワールドへの出入り口が存在していて、その場所 が私には感じられる説。これは量子力学的には説明することができるみたいだけど、あく までも原子レベルの小さい世界の話で、人間の体やモノのような大きい世界では今のとこ ろ成り立っていないという。

わからない。とりあえずノートに理論を書き留めておいた。もう少し詳しく考えるために 、この五冊を借りていくことにしよう。カウンターに本を持っていき、貸出カードを作っ てもらって本を借りた。

 

いつの間にか日が暮れようとしていた。