ラビットハウスに帰り着くと、お店はもうバータイムの営業が始まっていた。
「ココアちゃんお帰りなさい、今日は遅かったのね」
「うん、物理の先生とちょっと話し込んじゃってて」
「えらい! そういえばココアちゃん、中学校では理科が得意だったってお母さんから聞いてるわ。物理が好き?」
「好きです!」
「私は生物が好きだったわ。物理はなかなかわからないところが多くて」
「物理のポイントはいくつかあるから、そこをうまく押さえると大丈夫です! 今度教えます」
「楽しみね♪ ココア先生、よろしくお願いします」
「先生だなんてそんな」
「その割にはココアちゃん、顔がにやけてるわ」
先生と呼ばれるとなんだか照れちゃう。中学校時代はお友達に理科を少し教えたりもしていたよ。
お店がだいぶ混んできたので、私は早めにおうちの方に引っ込んだ。まだバータイムの時には働けない。高校からの指示で、お酒が出る時間帯のお店では働いてはいけないことになっていた。いつかバータイムの時に、私とチノちゃんとリゼちゃんと、スタイリッシュな制服を着て働くのが夢。そのためにも、みんなを取り戻す必要がある。でも、先生の話だと、物理学的には取り戻せそうにない。となると、ココアお姉さん(仮)が少し話していた「まじゅつ」を使うことになるんだろうか。
先のことをくよくよ考えるより、まずはティッピー探しに全力を注ぐことにしよう。200羽の中からただ1羽を見つけ出さなければ。
翌火曜日の放課後、私は公園まで走って来た。今から日暮れまでにティッピーを見つけ出したい。でもこの広い公園に散らばったもこもこのアンゴラウサギの中から、どうやって見つけ出したらいいんだろう。いきなり途方に暮れてベンチに座り込んだ。
「あら、ココアさんこんにちは~」
「青山さん!」
青山さんが笑顔で手を振っていた。そうだ、青山さんならティッピーを探す手がかりを知っているかもしれない。
「青山さん、聞きたいことがあるの……」
「なんでしょう」
「この公園で、アンゴラウサギがどこにいるかわかる?」
「もこもこしたうさぎさんですね。この公園ですと、だいたい5か所に分かれて固まっている感じです。1つの群れ、といった感じのものが、あまり固まっていはいないのですが、だいたい40羽から50羽くらいですね」
青山さんの情報は、ココアお姉さん(仮)が教えてくれたものとだいたい合っていた。群れが5つで、多くても50羽程度であるなら、今日1日だけでなんとか探し出せるかもしれない。
「ちなみに、どこにいるかわかったりは……?」
「群れは時々動くのですが、だいたいの場所はですね……」
青山さんがバッグから原稿用紙を1枚取り出し、さらさらと公園の見取り図を描いた。結構上手い。その図の中に5つの丸が書き込まれた。
「こんな感じです。ではまずここに向かってみましょう~」
今いる場所から一番近い丸を指さし、青山さんは歩き始めた。
「あの、手伝ってくれるの?」
「大事なお友達を探す手がかりになるのでしょう?」
すべてを見通しているかのような言葉だった。青山さんと一緒なのは心強かった。
えーっと……、この中にいるのかな……? 一つ目の群れの所にたどり着いた私たちは、一面を覆いつくすようにうろちょろしているうさぎたちの群れを前に呆然としていた。どういうわけか、アンゴラウサギの群れとほかのうさぎさんたちの群れが一緒になってしまっていた。アンゴラウサギそのものはもこもこした感じなのを探せばいいと思うんだけど、そのもこもこがあっちに行ったりこっちに行ったりしていた。
「ちなみに、探しているうさぎさんの見た目はどんな感じになりますか?」
「こう、究極のもこもこというか、本当に丸っこい毛玉みたいなうさぎなんだけど」
「うーん、それっぽいうさぎさんは何羽かいるみたいですね」
ココアお姉さん(仮)は、私にならティッピーを見つけられると言っていた。でも見ただけじゃわからない。こういう時は1羽ずつ抱き上げてみるしかないか。一番近くにいたアンゴラウサギのもとに近づき、すっと抱き上げた。毛並みが気持ちいい~もふもふ~もふもふ~……
「ってもふもふしてる場合じゃなかった!」
果たしてこの毛玉がティッピーなのか。まるでピンと来なかった。
「どうでしょう、お探しのうさぎさんでしょうか?」
「わからない……」
その時、携帯のメールが届く音がした。もしかして。
『ココアお姉さんだぞ! 真のティッピーを抱き上げると、私と通信がつながるようにできたから、頑張って探してね♡ ちょっと技術的な問題で、ティッピーがどこにいるかまではこちらではわからないんだ。ごめんね!』
「……………………」
アンゴラウサギを1羽ずつ全部調べなければならないようだった。ひとまず、今抱き上げているこのうさぎさんは違うらしい。そっと地面に戻し、次なるうさぎにターゲットを定めて一歩踏み出した瞬間。
「わっ」「きゃあっ」
うさぎたちが一斉に散り散りになって逃げだしてしまった。あとには1羽も残らず、ただの芝生だけが広がっていた。
「……逃げちゃいましたね」
「うん……逃げちゃった」
その後、残る4つの丸のところに行ってみたけど、アンゴラウサギは影も形もなかった。今日は運がなかったと思って諦めるしかないのかな。すでに日が傾いていて、これ以上捜索を続行するのは難しかった。もし今日探しきれなかったら、次は金曜日にしかここに来ることはできない。
「どうします、ココアさん?」
「金曜日に、また探しに来ます……」
撤退宣言をするよりほかになかった。
水曜日と木曜日は完全に上の空だった。学校で勉強したことも、ラビットハウスでお仕事したこともほとんど覚えていない。授業ノートはきちんと取られていたし、コーヒーカップを割ったりすることはなかったけど、木曜日は途中でドクターストップならぬサキさんストップがかかり、とても心配されちゃった。
そして金曜日。公園でのティッピー捜索2日目。今日こそ見つけるんだ。青山さんの言ったとおりに群れが戻っていれば、アンゴラウサギの群れは5つに分かれているはずだった。 前回は群れを散り散りにしてしまった。今日はぽかぽかあったかい陽だまり力を全力で出していこう。ひだまりぢからのチャージよし。
群れのひとつめにたどり着いた。もふもふが\tatechuyoko{20}匹。ひだまり力オーラを出しながら近づくと、前回逃げだしたうさぎさんが逆に近寄ってきた。まず1匹目を抱き上げてもふもふ。気持ちいい~、でもなんかしっくりこないし、ココアお姉さん(仮)との通信がつながった様子もなかった。このうさぎさんはティッピーじゃない。次は……やっぱりなんか違う。
結局、ひとつめの群れにはティッピーはいなかった。ふたつめ、みっつめ、よっつめ、それぞれアンゴラウサギを抱き上げてもふもふして満足……こほん、捜索を続けていたけど、見つからなかった。
最後、五つ目の群れを探しに行こうとしたとき、木の陰に群れから離れたアンゴラウサギがいたのを見つけた。見た目が記憶にあるティッピーに一番近かった。これはもしかして。そっと近づいて抱き上げた。このもふもふ感、なんだか懐かしい。そしてココアお姉さん(仮)の言う通り、念じる。聞こえますか、αの私。
『見ぃつけた♪』
「わっ!」
『はいはい、αのお姉ちゃんだぞ? ふーっ、やっと安定した回線を構築できたね』
ココアお姉さん(仮)の声がティッピーから聞こえてきた。ひょっとして、みっしょんこんぷりーと?
『そう、みっしょんこんぷりーと。これで第一段階突破だよ』
ついに、また一歩前進できた。みんなを取り戻すところに近づくことができた。
「ところで、なんでティッピーを探す必要があったの?」
『今までは限られた時間しかそっちと連絡が取れなかったけど、これで常時連絡ができるようになったね。私の科学力と、ティッピーの力、そしてあなたにあった魔力』
「魔力?」
『おっと口が滑っちゃった。その話はおいおいするね』
「魔力ってマジカルなあれ? 私魔法使いなの? まさかー」
『さすが科学少女だね。まあ、理論を話せば論文ができあがるけど、今はふわっと魔法ってことにしといてね』
さすがに本当の魔法ではないだろうけど、説明が難しそうなのでとりあえず受け入れることにした。青山さんに聞くと何かわかるかもしれない。
ココアお姉さん(仮)の話によると、この私には、この世界ではまだできないはずの、並行世界とやり取りをする力、並行世界へ行き来するための力を持っているらしかった。本来ならその力は、このような事態が起こらなければ使われるはずがなく、持っていることすら気づくきっかけがないはずのものだった。ココアお姉さん(仮)は、並行世界を探索しているなかで私の存在を発見し、おしゃべりでもしようと準備していた矢先に、みんなが散り散りになってしまう事件が発生したという。そこで急いで連絡できるようにしたと。
『私の探索によると、どの世界線の私も、この力を持っているみたい。ただ、使えるようになっていたのはあなただけで、この私も使えない』
「そうなんだ」
なんだか、こうなったときのために用意されていた力みたい。そんな気がした。持っている力がみんなを助けるために使えるなら、なんでも使ってみんなを助けたい。
『どうやって力を使えるかはまだわからないけど、やっぱり杖がいるのかなー……』
「ますます本物の魔法使いみたいだね」
大きな杖を持って、魔導書を片手に魔法の呪文を唱える私の姿を想像して、思わず笑った。あるいは大きな杖でなくて、小さなステッキかもしれない。チノちゃんやみんなにマジックを披露したときに使った大切なもの。この世界のラビットハウスにあるのかな。あのステッキには苦い思い出があるけど。私のみぞおちをフルパワーで一突きしてきたことは忘れられないよ。あの時は乙女らしからぬひどい声を出しちゃった。
『とりあえず、並行世界へ移動したり、並行世界をつないだり、アクセスするための魔法の使い方を調べて、準備を整えよう』
「うん!」
『それで、ティッピーをラビットハウスに連れて帰ってもらえるといいんだけど』
ティッピーとともにラビットハウスに帰り、サキさんとタカヒロさんに相談してみた。
「サキさん、お願いがあるんですけど……」
「なあに? ココアちゃんの頼みなら何でも聞いちゃう♡」
「その、この子を飼いたいの」
「あら、モフモフしてるうさぎさんね。この感じはアンゴラウサギね」
「ダメ、ですか……?」
「いいわ♪」
「ほんと\tatechuyoko{!?}」
「その、タカヒロさんは……」
「サキがいいというなら、私は歓迎するよ」
「『ありがとうございます!』」
「あら、うさぎさんから、大人のココアちゃんみたいな声が聞こえてきたわね……」
「ふ、腹話術です!」
『ラビットハウスはとてもいいところですね♪』
「あら嬉しい♡」
こうして、ティッピーと一緒に暮らせるようになりました!
土曜日。今日は朝から夕方までラビットハウスでご奉仕する日だった。ティッピーを見つけ出すことができたので体が軽い気がする。開店早々常連さんが来たので元気いっぱいで迎えるよ!
「いらっしゃいませ!」
「あらココアちゃん、元気になったのね」
「やっぱり、元気がないように見えました?」
「そうねえ、ココアちゃんは太陽だけど、ここ最近は今にも雨が降りそうな感じだったねえ」
「ご心配おかけしました。これからはいつものココアに戻ります!」
「元気なのが一番だよ。カフェラテをお願い」
「かしこまりました!」
今日はいつも以上に忙しくて、お昼頃に交代で1時間休憩したとき以外は、ずっとホールでくるくるしていたよ。商売繁盛はいいことだ。でもこれだけ多いとやっぱりチノちゃんやリゼちゃんがいないと回らないなあ……
夕方6時、喫茶店としてのラビットハウスは営業終了。このあと7時からはバータイムになる。バックヤードに戻って制服から私服に着替えて、自分の部屋へ。
『こんばんは木組みの私! 今日は一日仕事だったかな?』
「お客さんがいつも以上に多くてもうへとへとだよお~」
『そうね、そちらの世界線だとお昼もお客さんがいっぱいなんだね』
「そうじゃないセカイもあるの?」
『常連さんが何人かだけの隠れ家的採算度外視ラビットハウスがあったり、バータイム専門に移行したラビットハウスもあったなあ。まあ、いろいろ』
「はぐらかされた気がする」
『まあ、それはさておき。お話しよ?』
それから、本題が何かわからないままココアお姉さん(仮)による一方的な話が始まった。弁護士として仕事を一件やりとげたこと、お酒一口で酔っ払ってダウンして、α世界のチノちゃんに介抱されたこと、パン作りの腕を鈍らせないために週末はひたすら小麦粉をこねていること、千夜ちゃんとシャロちゃんが同棲していること、ココアお姉さん(仮)とチノちゃんもルームシェアしていることなどなど。
『そうそう、こっちのチノちゃんからメッセージを預かっているよ』
「なになに!?」
『はじめましてココアさん。きっとそちらの私はココアさんのことを待っています。多分泣いています。見つけてあげてください。だって』
「なんだろう、そっちのチノちゃんだいぶくだけている気がするんだけど」
『きっと仲良く暮らしている成果だよアイタっ』
「……チノちゃんに叩かれた?」
『叩かれた……ぐすん』
「いいな……私もチノちゃんに会いたい」
『大丈夫。あなたの力をもってすれば必ず見つけられるから』
「うん」
チノちゃんと私はどこでも仲良し、一心同体といってもいい姉妹だから。だから、必ず私の手で見つけ出す。
『それで本題、リゼちゃんのいる世界とあなたの世界を接続できそうという観測結果が出たよ』
「ほんと?」
『ほんと。明日の夜、街を見渡せる高いところに行って。なにか魔法の杖みたいなものを持って』
「マジックセットのステッキでもいい?」
『いいと思う。……マジックはしなくていいけど、うっかり集中が途切れるようなことが起きないようにしてね』
「集中が途切れる?」
『うん、たとえばステッキが暴発してみぞおちに一発食らったり』
「うっ」
『……杖が暴発しないようにテープ巻いていった方がいいと思う』
「わかった」
それから明日すべきことをいろいろと話して、通信を終えた。
次の日。いよいよ夜を迎えた。今日ははやる気持ちを抑えて授業に集中していた。学校が終わるやいなや、みんなへのあいさつもそこそこにラビットハウスに取って返し、必要なものの準備をした。マジックセットのステッキを取り出し、危うくみぞおちを突かれそうになったのを回避してテープでぐるぐる巻きにして紙袋に入れた。そしてリゼちゃんとのつながりを生み出すかもしれないアイテムをひとつ。最後にティッピーを頭にのせて……のせ、のせ……あれ、載らないなー。チノちゃんってとてもバランス感覚が良かったんだね。仕方ないので勝手についてきてもらうことにした。ついてきてくれるといいけど。ティッピーを介してココアお姉さん(仮)に連絡を取ろうとしたけど、「ごめん、今日は残業で付き合えそうにないの! 頑張って!」って言われた。
「サキさん、ちょっと出かけてきます」
「あら、ティッピーちゃんのお散歩? 気を付けてね」
夜の街、まだ春先ともあってちょっと肌寒い。でも私の心は熱く、ドキドキしていた。いよいよみんなを見つけ出すための第一歩を踏み出せる。ティッピーははぐれることなく私についてきてくれた。坂を上って高台にたどり着いた。
「わあー……」
光のじゅうたんが敷き詰められたような光景が広がっていた。私は自分の体感での一年前、この街に来たばかりの頃のことを思い出した。みんなと一緒に温水プールに行ったとき、きれいな夜景を見ながらコーヒー牛乳をぐいっと飲み干したことを覚えている。あのときみたいに、街はきらきらと輝いていた。
「さて、と」
ココアお姉さん(仮)から教わった通り、街の光を目に焼き付けるように見た後、目を閉じ、ステッキを捧げるように持った。そして念じる。
(リゼちゃん、どこにいますか? リゼちゃん……)
ふと、風が変わった。自分の中から何かがあふれだすような感じがする。全身に力がみなぎったような感じがした時、目を開いてステッキを構え、大声で宣言しながら彼方を差した。
「サイエンティフィックマジカルフュージョン! 世界の扉よ、開け――!」
ステッキの先から光のようなものがはじけた気がした。みなぎった力がすべてステッキに吸い取られ、思わず意識を手放しそうになる。その後を追うように強い波のような感覚におそわれた。そして、
鈴の音のような澄んだ音が聞こえ、あたりは静寂に包まれた。
「終わっ……た……?」
『おめでとう。世界の接続に成功したよ』
ティッピーからココアお姉さん(仮)の声が聞こえてきた。
「ほんと?」
『うん、この世界はリゼちゃんがいる世界線とつながった。天々座家のお屋敷にリゼちゃんがいるようになった』
今すぐにでもリゼちゃんのもとに行きたい気持ちでいっぱいだったけど、もう夜だし、行くのは明日にした方がいいかもしれない。
『とりあえず、ラビットハウスに戻ろっか』
ココアお姉さん(仮)に勧められ、ティッピーとともに家路についた。帰り道でまた頭にティッピーを載せようとした。一瞬だけうまくいったような気がしたけど、すぐに滑り落ちてしまった。
明日は月曜日。学校のあとにリゼちゃんのもとに行って、……行って、どう話したらいいんだろう。リゼちゃんは元の世界のことを覚えているのかな?
『うーん、実はそこまではまだつかめていないんだよね』
「全く知らないこともあるってこと?」
『ありえるかも』
「どうしたらいいのかな」
『やはり正攻法、ラビットハウスに誘ってみるのはどう? 出会いはラビットハウスだったし』
「よし、ラビットハウスに誘おう」
『銃を突き付けられないようにねー』
いざ出陣! 目指すはリゼちゃんを取り戻すこと!